土からはじまる記憶 ― 臼杵焼、200年越しの器づくり

手に取ったときの心地よさと、置いたときの美しさ。その両方を叶える、KANADEMONO のテーブルウェアコレクション。
今回は、200年の時を経て復活した臼杵焼を手がける「USUKIYAKI 研究所」の宇佐美さんに、お話を伺いました。
幻の焼き物 臼杵焼とは

江戸後期、現在の大分県臼杵市にあたる地域で、臼杵藩の御用窯として器づくりが行われていた末広焼・皿山焼。ここで作られていたのは、日常使いに適した丈夫な陶器や、島原から招かれた工人による薄手で白い磁器でした。藩の庇護のもとに始まった焼き物は、わずか十数年で途絶え、やがて人々の記憶からも消えていきます。

200年の時を経て、再び臼杵の地から器を生み出す試みが始まりました。「現代に復活させるからこそ、今のスタイルやニーズに合わなければならない。そして、臼杵市という場所で作る意味を考えなければならない。」
そう語るのは、復興プロジェクトを率いる代表・宇佐美さん。生まれ育った町の歴史を受け継ぎ、再び世界に発信したいという思いから、わずかな資料を手がかりに、USUKIYAKI は現代の暮らしに寄り添う器として生まれ変わったのです。
かたちに宿る自然

USUKIYAKI の器は、「型打ち」という技法で形をとります。石膏型に土を押し当てるシンプルな方法ですが、同じ型を使っても、押す手の力加減や土の水分量によって、器の縁や表面に微妙な揺らぎが生まれます。
その表情に見えるわずかな違いは、手しごとならではのもの。一枚一枚が少しずつ違うからこそ、手にしたときにあたたかさを感じさせるのです。

デザインの背景にあるのは、臼杵焼が大切にしてきた自然から学ぶ姿勢。花や葉を思わせる稜花・輪花のフォルムは、西洋アンティークの器を思い出させる一方で、どこか普遍的で親しみやすい雰囲気を持っています。
工房のすぐ近くには広々としたハスの畑があり、夏には水面に大きな葉を広げ、花が静かに咲き誇ります。そうした土地の風景もまた、器のモチーフや感性の源になっているように感じられます。

現代によみがえった臼杵焼は、ただ昔の形をなぞるのではなく、自然の造形が持つ無駄のない美しさを今の食卓に重ね合わせることで、新しい表情を見せています。
食卓で生きる器

「器は料理の額縁」。そんな考えを大切にしている宇佐美さんは、器をかたちにするとき「どんな料理が映えるだろう」と想像を巡らせるといいます。そうして生まれた器は、盛り付けられた料理を引き立てつつ、日常の食卓を特別なひとときへと変えてくれます。
そして、家具ブランドである KANADEMONO として重ねたいもうひとつの視点。それは、器は料理の額縁であるとともに、「テーブルもまた、器の額縁である」ということ。 器の白さが木目に映え、縁の影が天板に柔らかく落ちる。そうやって、器が料理を引き立てるように、器そのものもまたテーブルに受け止められて完成します。
料理・器・テーブル。その3つが穏やかに調和することで、食卓はもっと豊かに、心地よい場になっていくのではないかと考えます。
器づくりは、人をつなぐ仕事

臼杵焼にしかできないこと。それは、この土地の自然や食文化と響き合う器を生み出すことです。 200年前に途絶えた焼き物を現代に根づかせる営みには、過去を敬いながらも未来を見据える姿勢が込められています。
「日常使いから特別な場面まで、幅広く愛される器にしたい」と語る宇佐美さん。その想いは、地域の学校での授業や体験教室、地域の食文化や作家とのコラボレーションとして形に。最近では、県外から移り住んだ若い職人も加わり、新しい風が臼杵の地に吹き込まれています。

そのひとつが、工房で開かれている臼杵焼の型打ち体験。誰でも土に触れ、器のかたちを生み出す時間を共有できる場。ここでは、職人の技の一端を体感することができます。
KANADEMONO のスタッフも実際にこちらの体験に参加させていただき、手しごとの難しさと奥深さを身をもって知る機会となりました。
手の中で知る、器の奥深さ

粘土を石膏型に押し当て、形を整える。工程はシンプルに見えますが、実際に手を動かすとすぐに難しさに気づかされます。力の加減ひとつで厚みに差が出たり、縁が歪んでしまったり。
同じ型なのに、表情が全く異なることを自らの手で体感し、職人の繊細な感覚と技術の奥深さに触れる貴重な経験となりました。

工房での体験から約1ヶ月後、焼き上がった器が手元に届きました。プロの仕事とは異なる、手探りのかたち。
力の加減や、わずかな動きの違いが、そのまま厚みや歪みとして表れているのがわかります。しかし、その揺らぎがかえって愛おしくもあり、手を動かした時間の記憶がふとよみがえりました。

体験を通して見えてきたのは、臼杵焼が「自然から生まれる表情」と「人の手による確かな仕上げ」の両方に根ざしているということ。偶然に委ねられる部分と、職人が整える部分。その重なりがあるからこそ、安心して暮らしに取り入れたいと思える器が生まれるのです。

臼杵の土地に眠る歴史と、いまを生きる人々の手。その両方を結び直すことで生まれた器は、町の記憶を静かに映し出しています。